昭和44年03月22日 夜の御理解
先日あの歯医者に送ってもらうのが、あの東さんが当番でございましたから、こげついう東さんのなんですか、あのうスカッとさわやかなコカコーラね、コカコーラに勤めております。それでそのコカコーラの会社の色々な話を、車中にしてくれましたが、成程世界に伸びていくというか、世界に発展しておるコそのうカコーラというまぁ飲料水の会社ですけれども、成程そうであろうなとこう思いました。というのはあのうとにかく材料と原料というものが、何でも世界一というものを使うそうですね。
もうお砂糖でもなんでも。沢山のあれものが入るそうですが、それを全部そのういわゆる最高の、一級品を使うそうです。もうもちろん普通のサイダーなんかでは、水道の水を使うのですけれども、その水道の水をまた何回か、また越されるそうですね。そういうやはり精製に精製を重ねてから、あのういわゆる世界のいわゆる、コカコーラになっておるということを聞かせて頂いてですね。しかもあの一週間にいっぺん、従業員全部に試験があるそうです。それがどういう試験かというとですね。
あのう例えていうとあのういろんな店にもう、あらゆる機械が据えてありますですね、あの冷蔵庫ですかあれをどう言う風にしとったが一番とりよいか、と言った様な事までがですね研究されるのですよ。買う時に売る時にと言う様な。そのう従業員全部にそのう試験があるということですが、なるほどと思わせて頂いたのですが、「スカッと爽やか」というのは、あのコカコーラを沢山とにかく、一冊くらいにあれの良いところを説明したものを一語にまとめた言葉が「スカッと爽やか」だそうですね。
あれは日本人の人があのう付けたそうですが。スカッと爽やかという標語を作ったらね、その当時の金で100万円のお礼を出したそうですね。もう随分前の話ですけれど。それがね私思うのですけれども、本当にそのうコカコーラじゃないですけれども、私共日々ですね、もうスカッとした爽やかな生活が送りたいと思うですね。どの様な場合でもどの様な事であってもね、心ではそれが本当だと分かっておっても、中々スカッと出来ない。それが分かっておっても心が爽やかにならない様な事が沢山ございましょう。
そこで信心をさせて頂く事によって、自分の心がですその全ての事が、神様の願いの中にあっておることでありね、その事を思い分からせてもらう事から、スカッと爽やかなというかね心の中に平常心というか、そういうものが頂けれるのですけれども、それが分かっておってもならスカッと爽やかというところまでは、なんか溜飲下がるようなですね、スキッとしたものが頂けないというところに、信心の稽古がこれからの稽古がかけられなければならんと思うね。
例えば今度高校の試験の発表が、昨日今日ですかどこもあっておりますけれども、皆んなお礼に出て見えられます。ところがまぁ有り難い通るはずが無いところが通れたとと言うてお礼に来るから有り難いのですけれども、本当にあれだけお願いをしておったのに通れなかったと、と言った様な人なんかの場合はですね、その辺を流石に信心の出来ておる人達なんかは、いわゆるスカッと爽やかとまではいかないでしょうけれども、いわゆるそれでも御礼参拝をみなしてきておりますね。
そういう意味のどう言う様な場合でも、それがスカッと爽やかになれれると言う事が、それを目指す事が信心だと思うです。ですからどんな場合でも心の中がスカッと爽やかであったら、こんな楽な有り難い事は無いですよ。あの人からちょっとした事言われたらもう胸が暗くなる。胸が痛いと言った様な事ではいけません。それがスカッと爽やかなおかげを頂く為にです、やはり精製に精製をした、例えばコカコーラが最高の技術と最高の原料を使うといわれておるように。
私共も最高のいわゆる御教えとね、最高のその有り難いというものに触れるということが、私は大事じゃないかと私は大事じゃないかとこう思うんです。じゃなかろうかと思うと言った教えではなくて、だと言い切れる教えなのです。しかもそれをなら行じて頂いておるという、合楽の場合はその点有り難いと思うのですけれどもね。私が今日あの本当に10何年ぶりにスカッと爽やかに願った事があるんです。
というのははぁこういうところにしかし神様も、神様の方がスカッと爽やかになんなさらならんと言った様な事がありゃせんかと思うようなことですね私共が。今日私ある人が書いた本を読ませて頂いておりましたら、その方に私はもう10何年前に相当の金額を、まぁ貸してあるのですけれども、もうやったつもりでおりますから、あのう貰おうとも思うておりません。ところがあのうその方がですね、合うたんびにですね年に何回か合うのです。合うたんびにその事にはちょっとこれから先も触れんのですよね。
「本当にあのまま御無礼しております」、どうか言われりゃですね、「いいえそんなこと仰らんでもいいですよって、もうあれはもういわばもう差し上げたも同然ですから、必要ないですよと。又お払いになるならあんた方が本当に楽になる時に、お払いになるならいいですよ」と言いいたのですけれどもね、それをその言おうとしないのです。もうだからそれこそ、その時この人ばっかりはと言う様なものがあったのですけれどね、その人が書いておる本の中にね。
本当にはぁこの人にはこんなに素晴らしいところがあったのだろうかということを、その人が書いてあるのを見て発見したのです。そしたらそこんところを読ませて頂きよったら、涙がこぼれるごと有り難いんですよ。はぁこの人は本当に確かに人からあんまり好かれるとじゃないんです。ならねどういうところが好かれんかということをですね、自分ではっきり把握しておられると言う事ですね。そう言う様な私。そう言う様な私でも信心させて頂いてと言う様な事を書いてある中にですね。
こういう本当にその私共がですね、その人を知っておるのですけれども、その人を知っておる限りの人は、そんな人だと思うだろうと思うです。それを見事に自分でキャッチして、しかもこういう大衆に読めれる本を書いておると言う事がですね、私は素晴らしいと思うた。どんなに例えばそういうものをもたんでもですね、人の前にそれをさらけ出しきらん人は詰まらんですよ。もうそこんにきうちの兄弟で、この人は第一番だと、私は今日思うたんです。
ほうこの人にゃこげな素晴らしいところがあったと思うて、改めてその事を読ませて頂いたらです、私の10何年私の心の中にそのう、これこうこうふっと思わせて頂きます頂こうとも思いませんけれども、それがね今度会うたってもう○○さん、本当に私しゃあんたのあれを読んでおかげを頂いたと、私の方から言いたい気がするような感じです。もうそれこそそげな事など問題ではない。貸しておる事なんか問題でないほど、と言う様な事でしたけれどもね、あのう一口ですから読んでみましょうか。
間違いなしに自分で言っておる通りの人なんです。「たったひとつの小さい事にもすぐ怒りそれを顔にだす私。人の事となるとすぐ批判する私。人の意見を素直に受けいる事の出来ない私。本当に自分自身が情けない事でございます」と書いております。もうこの通りの人なんです。もうこれは看板に出しておる事この通りの人です。それをね自分で把握してしかも発表できると言う事。
それが素晴らしいと思うです。自分が一番いけないところ、自分の一番つまらないところ。一番ここが人に好かれないところ。それは家内からでも子供からでもそのように見られておる、自分と言うものをですね、そのう、はっきりここに書かれると言う事が有り難いですね。「ご苦労さん只今行ってきます、日常どんな家庭でも使われておる平凡な言葉。この平凡な言葉すら素直にいえない私」。そういう人なんですよ。
「命令口調だと言う妻。頑固親父であるという長男、何ひとつ理解しないお父さんという娘」というその娘達からも家内からも息子からも、そのように本当に確かにそうだろうと思うです。それをここにこう人からすっぱ抜かれるのでなくて、自分自身がすっぱ抜いておる。自分自身がそれを赤裸々にここに出しておる事がですね、まぁ素晴らしい事だなぁと私そこんところ読ませて頂いてですね、まぁ本当に私は涙がこぼれました。
ですからいかに私共が赤裸々に神様の前に詫びるということがですね、神様が心につかえてござる事があろう。「そげな事じゃおかげはやられん。お前がいっちょ改まらなでけん」と日ごろ思うてござる神様がです、こういう赤裸々なものに触れられた時に、それこそ神様の心がスカッと爽やかに、次のおかげを下さる準備が出来ると、私はそんな風に今日は思うたですね。
どうぞ。